岩波文庫「完訳 水滸伝」(一)〜(十)
完訳 水滸伝」(一) 吉川幸次郎・清水茂 訳 赤16-1 岩波文庫 表紙 (絵) : 鎮関西 魯提轄拳打 岩波書店 32-016-1
訳者はしがき
自分には難し過ぎて上手く説明できないので分かる範囲内で進めて行きます。
中には抜粋している箇所も有りますが問題があれば掲示板かブログから連絡下さい。
『水滸伝』は『三国演義』と共に、禹域(ウイキ 中国の意味)の文学史上に、小説としてハッキリとした自覚と
まとまった量をもって現れる最初の作品である。
『水滸』は禹域の小説として、最も優れた作品の一つであり、実在の経験たることに全く責任を負わない純粋空想の叙述が出現、
庶民の生活の伸張により、都市の生活の重要な点綴(テンテイ)として、講釈の小屋を盛り場に林立させた。
宋以後、司馬遷の『史記』・杜甫の近体詩・『水滸』は、準備の時期(伏流)を経て地表に躍り出ると目覚しく結晶し
王者として君臨する、そのような流れを持つ。
講釈師の語る軍談、人情噺(バナシ)、妖怪談が、やがて筆録され、定着する。
まとまった量をもって今に伝わる講釈の筆録は『水滸』『三国』を最古とし、庶民の娯楽として発生している。
十二世紀の初頭、北宋の徽宗皇帝のころ、山東の梁山泊なる水郷につどうて、官軍に反抗した匪賊たち、呼保義宋江以下、
一百八人の物語りであるが、宋江というのは、実在の人物であって、その名は、『宋史』の徽宗本紀その他に見え、
またその徒党のおもだったものは三十六人であって、それが「斉魏」すなわち今の山東河北の地方に横行したことも
「宋史」の張叔夜の伝に見えている。
ところで、これら三十六豪傑の遊侠の行為は、当時の民衆から好奇と賞賛の目を以て迎えられたらしく、やがて三十六人、
一人一人についての武勇伝が、寄席の講談として語られることになった。
南宋の末年、首都杭州では、盛んにそれが語られていた証迹があり、次の元の時代には、そのいくつかが雑劇として戯曲化された。
いわく「争報恩三虎下山」「同楽院燕青博魚」「黒旋風双献功」「梁山泊李逵負荊」「都孔目風雨還牢末」以上五種の脚本は、
今も、『元曲選』の中に残っている。(今日の内容とは違うものもあるらしい)